今日は、お宅訪問 2 と題しまして、貴重なお宅訪問体験を紹介したいと思います☆
珍blogでもたびたび登場、 WOTA デザイナーの赤鬼盛子さん。
tokyoに出張や遊びに行く際はいつも赤鬼家にお世話になっております。
毎回 ママさんパパさんと暮らす赤鬼生家にお世話になっていたのですが、
「以前からずーーーっと住みたいところがあって、縁あって引っ越すことになったんです!」
といつも以上に子供のような瞳を輝かせて案内してくれた場所・・・
そこは・・・
知る人ぞ知る、 奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅!!!!!
一部抜粋 (阿佐ヶ谷住宅とは、1958(昭和33)年に日本住宅公団(当時)が
高度経済成長期を前にした時代に都市への人口流入が進み、住宅の絶対数が不足していたところに、良質な住宅を供給することを目的として、
東京都杉並区に建設した分譲住宅のことで、50年を経た今日に至るも田園都市としての魅力を失わず、
建築界では奇跡の団地と呼ばれていて、その計画性とデザイン性の高さから専門家の間でも戦後の名作団地の筆頭と評価されている。)
ちなみに本も出ていて建築数寄にはたまらない住宅でもあります。
ここは・・・本当に東京かい・・・・?と疑うくらい、
ほかのエリアとは全く違った風が吹く オアシス。
まるでシータとパズーが天空の城ラピュタに降り立ったときのシーンのような・・・
そんな空気。
オアシスというかもう サンクチュアリ
一足踏み入ると時も空間も精神もトリップする癒しの住まいであります。
なぜか私はいつもここで方向感覚を失い、何度も迷ってしまいます。
オートロックは?・築年数は?エレベーターは? 等という住居を選ぶ基準たるものを軽々と開放して
ここはまず家と隣の庭とを仕切るものがなく、境界線というものがまったくないんです。
塀もない、どこまでがその家の庭なのか公園なのか、
その庭はさらに道や広場とそのまま広がっていました。
もともとそんなものはないのでしょうが、
「公」の場所と言われる空間と「私」の場所と呼ばれる空間の中間領域が、
なんともいえない曖昧な雰囲気を創りだして、不思議な心地よさを感じるんです。
本当は曖昧なんかじゃなくそれが、明確な何かを打ち出しているから
人間として心地よさを感じるのかもしれません。
外観はとても渋キュートで、昭和のあの時代ならではのモダンさが感じられるビンテージ住宅。
もともとバブリーな建物だったようですが既に取り壊しが決まったまま、何年も工事が始まっておらず、今では住んでいる人はほとんどいません。
ですが不思議と 廃墟によくあるような寂しそう・暗いというイメージが全く感じられず、
至って穏やかで温かい。
今までいろんな人間の暮らしを支えて、いろんな時代を見守ってきたからなのでしょうか。
そんな阿佐ヶ谷住宅の中に入れるとはなんともラッキーでした!
念願の住まいを手に入れた赤鬼さん。
気合も半端なく、室内の壁を好きな色にすべて塗り替えるという事で、珍人物にペンキをお願いして、
赤鬼さん自らがぺイント☆
こちらは玄関☆
透かしガラスがソフトに玄関エリアを演出。
なぜか珍人物が正月ギリギリに書いた年賀状と家から送っていたみかんが備えられていました。
逆に出かけるときはこんな感じですね。
ドアに "have a good time" ☆
blue room と呼んでいたミズイロの空間。
赤鬼さんのヨガスペースでもありました。
キッチンはキュートにピンク&レッド!
しみじみいい写真・・・・
キッチン横はバスルームなのですが、お風呂の調子が悪く、初回以降はよく温まらない。
なので、お風呂につかりながら、入っていない人がこのキッチンでお鍋にお湯を沸かし、それを足し湯していくという ありがたみ倍増のシステムでした。
その場面の写真を残せなかったのがとても後悔しています。
一瞬でぬるくなる湯船に修行僧のようにつかり、次の足し湯はまだかと待っている最中に、
足し湯担当の赤鬼さんが寝るという事件もおこりました。
そして その後、もっとうまくやれる方法が見つかったと聞いて、ホっとしています。
この風呂とのかかわり方についていい方法を考えるのも好きでした。
さらにまったり過ごせるリビング空間♪
夜は
喉仏様がレコードの上に針を躍らせ、さらに気持ちい空間にトリップさせてくれます。
調子がいい時は喉仏様も音を放ちます。
というかこの写真・・・
幼少のころに見た実家の光景とデジャブ。 野球部だった兄がそこにいました。
私は赤鬼宅でこのままウトウトと眠ってしまうことがたまらなく好きでした。
不眠もちなので、泊りに行くときは絶対珍が最後まで眠れないのがお決まりなのですが、
ここでは初めて住人より先に寝てしまいました。
そして忘れてはいけない夜の住人の一人、 赤鬼宅のエアコンに巣食うコーモリ、その名も
モリちゃん
(イントネーションは語尾上がり)
3日限定だったそうで私は会えずでした。
窓からの風景。
朝はいつも鳥とあいさつできます。
お泊りの際はこの鳥とこれからもあいさつできるものと思っていたんです・・・
思っていたんです・・・!
それなのに・・・!
・・・・ここまでの紹介が自然と過去形文章となってしまった衝撃的な訳、
実は私が前回の宿泊中、一通の手紙がその運命を運んできました。
すでに取り壊しが決まっていながらも何年も工事開始日が決まっていなかったこの住宅、
いれる期間だけでも住みたいと赤鬼さんが飛び込んだサンクチュアリでしたが
3月1日からついに工事開始、2月28日までの退去のお願いがついに来てしまったのです。。。
住み始めてから7か月、あまりにも急すぎる展開。
この日の赤鬼さんは荒れに荒れ、おいおいと嘆き・・・・
このままいびきをかきながら眠ってしまいました。
家からも近く、子供のころからこの団地の公園で遊んでいたという赤鬼さん。
「タヌキやヘビも虫もここでは普通に生きてるんです。東京で生きにくくなった命がここにたくさんなんです!」
と教えてくれました。
取り壊し後は新しいマンションが建つのだとか。
数日後にはお別れパーティを催し、赤鬼さんの友人が残したペイント。
今現在はこの団地にはロープが張られているそうです。
これが最初で最後の紹介になってしまうなんて(;_;)
ここでこれからたくさん楽しい写真を撮ろうと思っていた私ですが、こんなにすぐに取り壊されると思わずに、
写真を全然残せず 赤鬼さんの、今となってはとっても貴重な写真を使わせていただきました。
それにしても取り壊しが決まっていながらも、ずっと工事が始まらなかったのは、
最後の住人にふさわしい、赤鬼さんをずっとまっていたのではないでしょうか。
公と私の境界線のない場所、さらには虫も鳥も人間の境界線もなく、共存を感じられる住まい。
植物たちも力たっぷりに茂り、人間の真の住まいとは?というものを考えさせてくれる場所でもありました。
経済優先の行政やら業者によって画一的で無個性の住宅が田んぼや木々を覆い尽くし、
特に都内は年々立ち並ぶ高層マンションやハウスメーカー住宅の中から住まいを選択するしかなかったりと
気付けば住んでいるというか住まわされているという方があっているのではと考える今日この頃です。
住まい というものに積極的になれない現状・・・!
住は 人が主 と書くのに。
私の移住理由の一つでもありました。
穏やかでありながらも 住まいの在り方を考えるための強烈なインパクトを与えてくれた阿佐ヶ谷住宅!
tokyoにもこんな住宅があったということを紹介出来て本当に良かったと思います。
さて、家がないと嘆く赤鬼さんに、どんな家がいいだろうかと珍なりに勝手に考えてみました。
同じ場所にずっといるか不明、 家賃を払いたくない、 無個性な住宅にはまったく興味がない、
赤鬼さんの条件をまとめて勝手にピックアップ。
話題となってる可動式は以前からあったらいいのに!と思っていたもの。
その他資料を集め、赤鬼さんに送ってみようと思います。
最近共有生活というものにも大変興味があります。
シェアしたほうがよいところはシェアして、効率よく生活していけば無駄もなく、
これからの時代はよいのではと思ったりします。
http://youtu.be/jU2YJUALOUU住まい・生活に興味のある方はぜひ♪♪♪